吉田直大氏自らが社長を務める大電㈱では、会社創設の前年、朝鮮動乱が起こり、やがて戦争物資調達の影響を受けて日本は好景気を迎えました。大電も例外ではなく、百人からの臨時工を雇って電線を増産しました。
しかしながら、昭和28年、動乱が終結すると百人からの臨時工が不要となり、やむなく解雇することになり、その際、吉田氏は、全員の次の就職先を世話し、恨まれることなく解雇できました。
その後、会社は何度か不況に見舞われますが、自らの報酬カットや会社の経費節減、設備投資抑制等で乗り切り、二度と社員を解雇することはありませんでした。
ある年の不況期には、仕事がない社員に吉田氏は庭の草取りを命じていました。社員が「もう、取る草がありませんが」と言うと、人情味あふれる吉田氏は「適当に何か仕事を探して、しよれ(「やっていなさい」という意味の方言)」と怒鳴り返したというエピソードがあります。
平成9年には、リーマンショックという世界的な大不況が起こり、大電の売り上げも4割減少しました。この時の社長は、吉田直大氏の息子の曉生氏。社員を守る経営は引き継がれており、役員の報酬カット、経費節減等で乗り切りました。
経費節減等の体制で臨んだ翌年は、景気が回復し、大電は史上最高益を計上するに至りました。